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おだっくいLOVE
【小田急線 経堂駅ホーム 朝の独り言】
僕の名前は山下亮介。
東京都内のとあるIT関連の会社に勤めるサラリーマンだ。
通勤には小田急線を使っているのだが、「おだきゅう」という響きが、僕にある静岡弁を思い起こさせる。
その言葉は「おだっくい」という。
東京で言えば「お調子者」くらいの意味合いだと思う。
「オダをくう」などと、名詞+動詞の組み合わせでも使われる。
「てめえ、何調子に乗ってんだよ!」
という意味で、
「われ、なーにおだくっちゃいるだ!」
とか言われたものだった。
その言葉を知ったのは中学校に入学してからだった。
そう、つまり絵里ちゃんに出会ってから、ということだ。
毎朝電車に乗るたびに思い出す。僕が絵里ちゃんと過ごした日々を。
というわけで今日もしっかり思い出そう。
ちょっといろいろ美化しながらね。
序章
【清水市転入】
ああ、この髪の毛ともおさらばか・・・・
床屋のおじさんは妙に楽しそうな顔で僕の座った椅子の横ではさみやバリカンをかちゃかちゃやっている。
ぼくはさながらまな板の上の鯉。
おじさんの準備が完了、僕の頭におじさんの持つバリカンが近づいてくる。
ジャキッ。最初の一刃が入った。
おじさんの手は大胆に動き、男子にしては少し長めだった僕の髪の毛を非情にも刈り取って行くのだった。
これは僕が引っ越してきた先の中学校に転入する為の、いわば儀式のようなものなのだ。
僕の思いは、数日前、転入先の中学校の校長室に飛んでいた。
僕はその時、入学予定の中学校の校長室にいた。
隣には両親が、目の前には教頭ともう一人の先生が座っていた。
この春、父の転勤で僕は横浜からここ静岡県の清水市に引っ越してきた。
新入生ということで、「転入」というニオイは薄いが、実際転入は転入なので、
いろいろと説明を受けるために来校しているのだった。
一通りの説明が済み、ではさようなら、というその時、教頭が思い出したように僕らを引きとめた。
で、僕の頭を見てこう言ったんだ。
「あと、髪の毛なんだけど、入学式までに刈り上げてきてくださいね。前髪も長すぎるかな。」
え?刈り上げ?イヤイヤぼくは運動部とかに入るつもりはないし。
え?男子全員?
はあ、っていうか、それはこの学校だけの決まりですか?
え?市内の中学校全部?
そうですか、市で決まっちゃってるんですか。
わかりました。僕も男だ。潔くバッサリとやってやろうじゃないですか・・・
というわけで今僕は床屋さんの椅子に座っているのだった。
割と長めだった髪の毛はきれいに刈られ、青っちろい頭皮が悲しげに自己主張を・・・
って、何?頭皮?え?ほとんど髪の毛がないじゃん。
刈り上げというより、これはむしろ坊主頭と言ったほうがいいような・・・いや確実に坊主ですけど。
恐る恐る床屋さんに聞いてみた。
「あのう、これって坊主刈りですよね?」
「ああ?そうだよ。あんた最初からそう言ったずら?男らしいじゃあないか。格好ええら?」
ええらって・・・僕は絶対に刈上げと言った筈だった。だって・・・・・・だって・・・・・・。
でも床屋さんのうれしそうな顔を見ると何も言えなくなってしまった。
半泣きでお金を払い、家へと向かった。
空気が頭をなぜる。ものすごくくすぐったかった。
家人の反応は思ったとおりだった。
小5の妹は大爆笑。
両親は笑いをこらえて引きつっている。
なぜか小五の弟(妹との双子だ。)だけは僕の想像に反して神妙な面持ちだった。
父が言った。
「うん。なかなかよい形の頭だ。よく似合っているぞ。うん、うん・・・」
とうとう母親が耐え切れずに笑いを爆発させた。
一人だけ笑わずにいてくれた弟に、兄想いのかわいい弟よ、と声をかけると、
「だって、自分も2年後には同じ目にあうと思ったら笑えなくて・・・」
だって。納得。でもな、坊主じゃないんだ。刈上げでいいんだ。
教えてあげないけど。
これで何度目の転校だろう。ええと、1、2・・・、3度目になるのか。
でも、今までの転校に比べるとさほどの緊張感はないな。
僕にとってはいいタイミングだった。
前にも言ったけど、新入生として中学校に入学できるので、「転校生」という色合いはかなり薄れるからだ。
過去二回の転校では、クラスに溶け込むため、少なからず努力をしたものだった。
もともとは人見知りの強い僕なので、それを押し隠してひょうきんもののポーズをとった。
そしてそれはたいてい成功した。
入学する清水市立富士見中学校には二つの小学校から生徒が集まっている。
その両方から「向こうから来たヤツ」と思われるだけなので、迷えるの子羊的気分は味わわずに済むはずだった。
後は自己紹介で失敗しなければOK。
弟と妹はちょっと大変だと思うけど、がんばって欲しいものである。
僕も昔はがんばったんだから。
父は製紙関係の会社で営業の仕事をしている。会社ではかなりやり手で通っているらしい。
転勤したての父はあいさつ回りやらなんやらえらく忙しいらしく、ほとんど家にいなかったが、
なぜか春休み最後の日曜日の朝に「今日は市内観光をするぞ。」と言い出した。
特に予定もなかったので、誰も異議を唱えなかった。
というわけで、出発。
社宅のアパートを出発して、まずは市内の有名なお寺さんめぐりである。
ここからノンフィクション。
竜華寺----立派な蘇鉄と須弥山式の庭園。高山樗牛のお墓もある。
鉄舟寺----山岡鉄舟ががんばって建立しようとし、かの清水の次郎長も手伝ったと言う由緒あるお寺。
もっと昔からの由来もあるらしい。肝心の山岡鉄舟は完成を見ずに亡くなったそうだ。
梅蔭寺----清水の次郎長親分の墓がある。近所には次郎長親分の生家があったりする。
清見寺----朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されているお寺で、庭園も有名。
風光明媚で室町時代には雪舟が、明治時代には夏目漱石や高山樗牛、島崎藤村が訪れている。
以上、お寺で説明書きを読んだそのまんまでした。
ノンフィクションここまで。
次に僕たちは三保の松原へと向かった。
港を巡る産業道路を車は進む。
三保半島にはいり、徐々に道路が狭くなっていく。
東海大学の海洋学部を右手に見ながらさらに進む。
そして出会った天女の羽衣の松はなんと樹齢650年!
青い空に緑の松葉が映える。美しい松並木を見ながら父の話す天女の羽衣伝説を聞く。
この人が話すと何でもかんでもSFになってしまうので、話半分で聞いておくことが肝心だ。
『天女の羽衣は実は宇宙人の重力コントロール装置だ。』
『天女は実は宇宙人のお姫様で、気まぐれに立ち寄った地球で事件に巻き込まれた。』
『天女を妻にした男は実はその昔地球に流れ着いた宇宙人の末裔だった。』
天女が泣いている。
「それでそれで?天女はどうなったの?」
双子たちがものすごく夢中になってるし。
だから調子に乗るんだ、この父親は。うれしそうに嘘八百並べないように。
三保を後にして、久能山東照宮へと向かった。
久能の南斜面にはイチゴのビニールハウスがずらりと並ぶ。
冬はイチゴ狩りの客を乗せた観光バスが押し寄せるそうだ。
東照宮に到着。がんばって階段を上りまくる。昼はとっくに過ぎていたので、強烈に腹が減ってきた。
参拝した後は日本平ロープウェイにのり、日本平へ。
展望台からの眺めはすばらしかった。
駿河湾がどこまでも青く広がっていた。
箱庭のような清水市街が一望できた。清水港を巡るジオラマのようだ。
向こう側には富士山がそのあまりにも美しい姿を惜しげもなく晒していて、
その稜線はやがて伊豆半島へと流れるようにつながっていく。
「これからこの町で暮らしていくんだね。」
妹がつぶやき、家族みんなが頷いた。
日本平観光ホテルで遅めのランチをいただいた。おいしかった。
明日は入学式だ。
そこで僕は、絵里ちゃんと出会ったんだ。