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おだっくいLOVE 番外編その5
スズケン
【一】 スズケン 進学する
「それでは行ってまいります、お母様。」
「はい、行ってらっしゃい。がんばってね、健二さん。」
「行ってらっしゃいませ、健二様。」
昨日、オレ、鈴木健二は中学校に入学した。
入学式の時には母親がおいおい泣いているのがわかり、ちょっと恥ずかしかった。
今朝も玄関まで出てきてオレを見送ってくれている。一歩下がってステレオで声を掛けてくれたのは、執事の中村と、メイドの南だ。中村はまあ、執事だからね。
でも南の方は一人っ子のオレとしては、ちょっと年の離れたねーちゃんみたいな存在ではある。
言うまでもないけど、オレんちは金持ちだ。
物心ついたころからここに住んでいるわけなので、オレにとってはこれが当たり前の世界だった。
たまに帰ってくる父はオレにとってはお土産を持ってきてくれる面白いおじさんだったな。
なにしろ世界中からいろんなものを持ってくるから、俺の部屋はちょっとした万国博覧会だ。父の教育方針は母にもきちんと伝わっていて(というか、
いつやってんのかわかんないけど、オレの教育に関してはきちんと話し合いができていたらしい。)天然キャラの母も、あたりはやわらかいんだけど、
言ってる事ややってる事は結構厳しかったんだ。
そんな中で言われたのが、家の中と学校とでは、周りとの付き合い方を変えること。
まあ、簡単な例で言えば、家では母親を「お母様」と呼ぶが、学校では「かあさん」とか、「かあちゃん」とか呼ぶようにする、とかね。
父親は「鈴木商事」の社長。金持ち、と言ったけど、どうも大金持ちらしい。
鈴木商事の社長の息子、ということが周りからは分かりにくくして、自然に学校生活が送れるように、という親の配慮だったらしい。服装とかもある意味
気を使ってた。特に小学生はあっけらかんと異質なものをいじめるからね。性格も手伝って割とひょうきん者として受け入れられていたおかげで、オレは
その辺に転がってるいたずら小僧だと周りからは思われてたのさ。
もちろん、友達を家に連れてきて遊ぶなんてあり得なかった。オレが誰かの家に遊びに行くことはあったけどね。
でもそれもあまり無かった。オレの友達は楽器だったんだ。
父親が音楽好きで、自分もピアノとドラムをやるんだけど、趣味が高じて家の地下に練習スタジオを作っちゃったんだって。
その影響で、オレもピアノを始めたんだけど、せっかくだからと、父親の知り合いのピアニストが教えに来てくれるようになった。
友達に聞かせたことは無いけれど、ショパンの幻想即興曲くらい弾けちゃうんだぜ。
この間の春休み、久しぶりに父親が日本に帰って来ていたんだ。で、ある日の夜に、スタジオに知ってるミュージシャンを呼んで、ジャズの生演奏を聴く会を
開いたんだけど、その時のトランペットがものすごくかっこよくて、「ああ、オレもあんな風にペットが吹きたい!」って思ったんだ。
パーティの最中だったけど、その人にオレ、いろいろ話を聞いた。その人が始めてトランペットを吹いたのが中学校のブラスバンド部だったと聞いて、
オレもブラスバンド部に入ると決めたのさ。
で、その話を次の日に父親にしたら、「そりゃいい。よし、今からラッパ、買いに行くぞ!」とか言い出して、いきなりオレを連れ出したんだ。
新幹線で静岡から東京へ出て、御茶ノ水の何とか楽器に到着。
店長がニコニコと挨拶をする。
「やあやあ、鈴木さん。ようこそいらっしゃいました。そちらがお子様でいらっしゃる。うむ、父親似の賢そうなお子様だ。で、今日はトランペットでしたな。
丁度シルキーのB5が何台か入ってるのですよ。どうしましょう、試奏してみますか?」
「うん、こいつにやらせたいところだが、まだ初心者でね。今日は専門家を呼んでるんで、そいつに選定してもらおうと思ってさ。」
「専門家と仰いますと?」
「安岡圭三。」
「え?安岡圭三というと、ゴールデン・ジュビリーの?そりゃ大変だ。」
「ナニナニ、楽器に自信が無いの?」
「いえいえそうではなくてね、店の者が興奮して集まってきちゃうんじゃないかと心配なんですわ。鈴木さんは顔が広くていらっしゃる。」
「お、噂をすればだ。圭ちゃん!こっちこっち!」
圭ちゃんと呼ばれて笑顔をこっちに向けた人は、昨日のあのトランペッターだった。
「おお、健ちゃん。そりゃ今日明日休みだって言ったけどさ、いつもいきなりなんだよなあ。昨日の今日だぜ。プロはスケジュールで動いてるんだって、
何度言ってもわかんない人だねぇ。」
「わりーわりー。健二がラッパ吹きたいとか言うからさぁ。いても立ってもいられなくてな。わりーけん頼むわ。山口さんがシルキー揃えといてくれたんでな。」
「初心者にいきなりシルキーかよ。まあいいや。B5なら大丈夫だろ。」
店長が挨拶に割り込む。
「ゴールデン・ジュビリーの安岡さんですよね?はじめまして。上倉楽器本店店長の山口と申します。以後宜しくお願いいたします。」
派手な見た目とは裏腹に丁寧な返答を返す安岡さん。
「これはどうも丁寧なご挨拶痛み入ります。こちらこそ宜しく。今日は鈴木のわがままでお互い大変ですな。」
いたずらっぽく言って、父を見た。
父が返す。
「堅苦しい挨拶はいいから、早速楽器見てくりょお。」
「しょうがねえなこいつは。昔っからガキのまんまで。これで商売になるとちゃんとできるっつーんだから不思議でならねえ。じゃあ店長さん。試奏させてくれる?」
「はいはい。では別室に用意してありますので、どうぞ。鈴木さんがたも。」
店長に案内されて店内にあるスタジオに移動した。移動中店員さんが何人か憧れの目で安岡さんを見ているのが分かった。やっぱかっこいいな、オレもいつか
こんな風になれないかな、なんて思ったんだ。
スタジオに入ると、ケースの蓋が開いた状態のトランペットが五台、机の上に並べてあった。安岡さんはポケットから何か取り出すと、それをケースから出し、
やおらトランペットを取り上げると、今取り出したものをそのトランペットに差し込んだ。
「ん?これ?マウスピースって言うんだよ。バンドっ子は『マッピ』とか呼んだりするな。」
おもむろに楽器を吹き出す。
えらく低い音から徐々に高い音まで。ぱらぱらと適当に吹いているように見える。
一息ついたところで聞いてみる。
「それって、何か決まったものを吹いてるんですか?」
安岡さんがにやりとして答えた。
「ん?適当。」
次々に五台のトランペットを試奏して、二台に絞り込んだようだ。
「店長さん、この五台、全部あたりだよ。すごいね。めずらしい。で、鈴木さん。中でもこの二台はいいよ。ちょっとあれだ、健二君にも吹かせてみようか。」
ええっ?そんな事言ったってトランペットなんて一度も吹いたことが無いのに。
「いいからいいから。僕の言うとおりにやってごらん。じゃ、まずマッピで音出してみようか。中くらいのカップのやつがいいだろな。でもまだ小さいからなあ・・・
店長さん、バックの5Cと7Cある?」
「はいはい、ありますよ。少々お待ちを。」
店長さんがきれいな銀色のマウスピースを二つ持ってきてくれた。
「よーし健二君、まずはマッピで音を出してみようか。ちょっといい?僕の口を見てみて。どんなんなってる?」
そういうと安岡さんは「イーっ」と口を横に引っ張って唇を薄くすると、ぷーっと音を出した。薄くなった唇の真ん中辺りだけがちょっと丸まって震えているのが
分かった。そこから空気が噴出しているのがわかる。
それをそのまま伝えると、
「ほう、よく見てんじゃん。あんたは初心者だから、やりやすくするために、指をこうしてVの字にして唇に当てて・・・そうそう、そんな感じで・・・息を出してみ?
そうそう、それでOK。」
唇が細かく震えて「ぷーっ」と鳴った。
「こんどはマウスピースつけてみよっか。いやいや、そんなにぎゅーっとしなくていいよ。はい、音出してみよっか・・・・・・いいねいいね。もうそれらしい音が出てる。
よーし、じゃあ楽器をつけてみよう。まずはこっち。そうそう持ち方はね、左手がこう。いいよいいよ。右手はこうやって、こう。うん。サマになってるぜ。よーし、
さっきと同じ感じで息を流してみようか。」
言われたとおりに息を流してみると、ぱあーっと音が鳴った。トランペットの音が。
なんとも言えない快感が体を満たす。
父がちょっと驚いた顔をしている。
店長さんもニコニコしてオレを見ている。
安岡さんが笑いながら言った。
「鈴木ぃ。お前さんの息子は、筋がいいんじゃないの?いきなりB♭がきれいにまっすぐ出てるよ。」
それって、なんかすごいんだろうか。
「ちょっと力抜いてまた吹いてみ。」
さっきより低い音が出た。
「ほーら、今度はきれいなFだ。しかもまっすぐ。もう息がコントロールできてる。いやいやいや、ありえないな。」
褒められてる。なんかうれしい。
「じゃあもう一台の方。そうそう、きちんと構えて。いやあ、言われなくても脇が楽に開いてて、肩の力が抜けてていい構えだ。よーし、じゃあさっきみたいに
吹いてごらん。最初はしっかり。次は力を抜いて。」
まっすぐ音を出すオレ。
「どうよ、どっちが吹きやすい?」
念のためもう一度ずつ両方の楽器を吹いてみた。ほとんど違いは無いとは思ったけど、微妙に最初の楽器の方が息がスムーズに抜けていくように感じたので、
そう伝えた。
「うわ、この子、ちゃんと選んだよ。この微妙な差が分かるかねえ、普通。鈴木、こっちの楽器はさ、ある程度体力がついてしっかり吹けるようになったらいい音に
なるとは思うんだけど、今の段階では音の抜けが微妙にいいそっちだと、俺も思う。ま、いずれにしろ一生付き合える楽器ではあるけどね。どっちも。」
店長さんのニコニコ感がさらに高まる。
「じゃあ山口さん、これにしてあげて。そう、マウスピースはバックに換えて。一応5Cと7Cと両方つけて。交換分は差額でいいよね。あとバルブオイルは
ホルトンがいいんじゃない?シルキーの純正も悪くはないけどさ。クロスとかポリッシュとか、いろいろサービスしてやってよ。」
「そりゃもう。ほかならぬ鈴木さんですから。付属品はすべてサービスさせていただきますよ。なんといっても安岡さんに選定してもらったんですから、
ほかのB5たちも幸せ者です。」
「あははは、そりゃいいや。良かったら今日、他のも選定していくよ。暇だし。」
「本当ですか?そりゃあありがたいが、よろしいんでしょうか・・・」
「問題なし。ロハでいいから。鈴木さんつながりでさ。な、鈴木。その代わりといっちゃ何だけど、この将来のラッパ吹きが店に来たらいろいろ融通してやってよ。
店長。」
「それはもう、お任せください。健二君も東京に来たら是非寄ってくださいよ。そうそう、静岡の姉妹店にもよーく言っておきますから。」
父が笑いながら言った。
「そりゃありがたい。ほら、健二からもちゃんと先にお礼を言っとけ。」
「あ、ありがとうございます。」
店長さんが笑って僕の将来を請合ってくれたんだ。
その後安岡さんが店のトランペットの選定をすることになり、興味津々の僕はつき合わせてもらうことにした。父はギターが見たいと言い出し、山口店長お勧めの
ギター専門店に行くことになった。
「二時間はかかんないと思うから、それまでには帰って来いよ。」
安岡さんに言われて、父は「わかったわかった」とうれしそうに出かけていった。
店長が店員さんに言って在庫のトランペットを用意させ、準備ができるとすぐに安岡さんが選定を始めた。
ヤマハのプロモデルにカスタム。
ヴィンセント・バック。
ホルトン、コーンにゲッツェン。
楽器によってこんなに音が違うんだ、と感激した。
次々に選定していく安岡さん。楽しそうだ。
「そりゃそうだよ。仕事で吹いてるラッパだけど、その音が好きでやってんだからね。またここの店は世界の一流品をさりげなく置いてるからねえ。
このホルトンなんて、メイナード・ファーガソンが吹いてるのとおんなじだよ。どうしよ、買って帰ろうかな。」
本当に楽しそうな安岡さんの子供みたいな表情にオレは参ってしまった。このときこの人がオレの目標になったんだ。
無事選定が終わり、店長さんと安岡さんの会話を聞いて楽しんでいたオレだった。
約束の二時間ギリギリで父が帰ってきた。本当にギターケースを抱えている。
「前から欲しかったんだよ、このマーチンD―18。」
「いくらしたんだ?」
「二十七万。」
「いい線かな。」
僕のトランペットも四十万とか言ってたし、併せて七十万近くを一日で…やっぱ父は金持ちなんだな。つーか、その割りにオレの小遣い、安くねーか?
でもよく考えれば、必要なものは何だって買ってくれてるし、オレが小遣いで買わなきゃなんない物ってそうそう無いんだよね。こんなオレが父の今日の
金の使い方に驚いてるのは、実は両親のオレへの金銭感覚の教育の成果なんだろうな。それが無きゃ当たり前に感じちゃってたはずだ。
支払いを済ませ、オレは自分のものとなったシルキーのケースの取っ手を握り締め、父はマーチンのケースを大事そうに抱え、安岡さんと三人で店を出た。
遅い昼食を三人でとり、その後安岡さんとは別れた。
「ちょくちょく教えに行ってやりたいんだけど、スケジュールの都合があるからな。ま、隙間ができたら連絡するから、頑張るんだぞ。そういえば健二君は
どこの中学に行くんだっけ。」
「四中です。」
「四中…四中かあ!小志水んとこだあ。健二君、ラッキーだよ君。小志水ならちゃんと教えてくれるはずだ。」
父が問う。
「誰だよ小志水って。」
「四中で音楽を教えてるやつさ。音大のオレの後輩。サックス吹きだけどね。いいやつだ。そうかあ、四中かあ。うん、健二君、頑張れよ。いつか学校にも
遊びに行かして貰おうっと。じゃあ、鈴木、今日は楽しかったよ。また今度な!」
「おう、今日はありがとう。ほれ、健二。」
「本当にありがとうございました!これからも宜しくお願いします!」
「おう、じゃあな!」
颯爽と歩いていく安岡さんは後姿も格好よかった。
「よーし、じゃあ、帰るぞ。母さんが待ってる。」
楽器ケースを抱えた親子連れが楽しそうに駅に向かった。
新幹線の中で、父から安岡さんとの関係についていろいろ話を聞いた。父と安岡さんは中学高校の同級生で、二人とも吹奏楽部だったんだそうだ。父は打楽器で、安岡さんは当然トランペット。安岡さんは当時からダントツで上手かったらしい。
「父様はどうだったの?」
「俺か?俺はまあ、普通だな。」
そう言って笑った。普通とは言いながら、昨日のセッションでもプロと一緒にドラムセットを叩いていた父であった。
あっという間に静岡に着き、タクシーで家に帰った。
笑顔の母が迎えてくれた。
その日はトランペットを抱いて寝たさ。もちろんケースに入れてだよ。
次の日、父はまた仕事のため、アメリカへと旅立った。
昨日、オレは中学に入学した。
そして今日、母と執事の中村、メイドの南に見送られて登校する。
吹奏楽部に入ってトランペットを吹く。それが当面、オレの目標なんだ。