The Stories of Mine      

掛け違えた釦

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10
【5】

例年だと、部活動紹介の行事のための準備で忙しくなるはずだったが、
今年からは部活動紹介がビデオになったため、
そこにとられる時間がなくなっていた。週休二日となり、
削れる行事はどんどん削られていっている。昨年度末にすでに
ビデオの収録は終わっているのだ。
おかげで早めに新入生の仮入部期間を開始することができた。
新入生はその間、好きな部活に体験入部することができる。
仮入部期間修了の次の日に本入部届けを出すことになるのだ。
歓迎演奏が効いたのかビデオの出来が良かったのか、
今年も入部希望者は多かった。
中山は新入部員をとりあえず好きなパートに所属させる。
そして一定期間練習に取り組ませた後、各パートリーダーから
報告書を提出させる。そして一週間かけて一人一人と面談をする。
最終的にパートを決定するのは中山だ。
新入部員にもそのシステムについては説明済みだった。
中山はこの面談が好きだった。新しい出会いが好きだった。
新入生のこれからの三年間に対する責任を自覚する瞬間でもあった。

「小学校の時、何かやっていたの?」
「はい。トランペットを吹いていました!」
うれしそうに答える生徒。しかしながら小学校での「経験者」には
妙な癖がついてしまっていて、使えないことが多い。
パートリーダーの報告書の点数も低い。
残念だが別のパートに行くことになるな。

「出身小学校の校歌を歌って見せてください。」
「え?校歌ですか?今ここで歌うんですか?」
「そうだよ。」
「わかりました。」
生徒が歌いだす。体の大きな男の子だが、変声期前で実に済んだきれいな声だ。
音程もよく、息もしっかり吸えている。
こういう子がテューバを吹いてくれるとベースラインが安定するんだよな。
本人の希望とも一致しているし。二重丸、と。

「君はパーカッションを希望しているんだね。」
「はい。」
「じゃあ、今から僕が手でリズムをたたくから、
聞いたとおりにたたき返してごらん。」
中山がリズムをたたく。生徒はそれをそのまま返す。
中山が期待する以上に正確に返ってくる。
どんどん複雑なリズムにしていくが、それでもこの子はついて来る。
今年は筋のいい子が多いなあ。ふっふっふっ。
中山は思わずほくそえんだ。

「クラリネット希望の、えーと、中野佳江さんだね。」
「はい……」
「小学校のときは何かやってたの?」
「いいえ……」
「じゃあ、出身小学校の校歌を歌ってみようか。」
「校歌…ですか…ええと…」
蚊の鳴くような声が聞こえてくる。それも徐々に小さくなり、
しまいにはまったく聞こえなくなってしまった。
うつむいたまま顔を上げない。こんな子も毎年必ずいるもんだよな。
三年間で何とかしてあげたいな。
智恵ならうまく引っ張ってくれるはずだ。
しっかりフォローしてあげないとな。

「お名前は?」
「栗原愛理です。」
「オーボエパート希望だったね。ずっとピアノを習ってるんだ。」
パートリーダー、瞳のつけた点数もかなり高い。見た目もかわいいしな。
おっと、これは冗談だ。
「出身小学校の校歌を歌ってみてくれるかな。」
「はいっ」
元気よく返事をすると、立ち上がって歌い始めた。
うまい!まだ成長過程ではあるが透き通った美しい声で、
しかも息がきちんと吸えていて伸びがあり音程も良い。
二年の沖永由美よりもうまくなるかもしれない。オーボエで決まりだ。

面接が終了した次の日、パートの発表をする。
新入生はもちろんのこと、二・三年生にとってもドキドキの瞬間だ。
どんな子が後輩になるんだろう、今までいたこの子は残ってくれるんだろうか・・・
発表が始まる。希望がかなって喜ぶ子、希望が通らずうつむく子。
あらかじめ指導が十分入っているので大騒ぎにはならないが、
中には泣いている子もいる。感情を表すなという方が無理というものだ。

新入生はそれぞれ指示されたパートのパートリーダーの下に集合する。
そして静かに各パートの部屋へと引率されていく。
上級生は、自分たちの当時の姿を思い出しつつ、この様子を
「ドナドナ」と呼んでいる。
クラリネットはどうしても人数が必要なので、
希望通りに行かなかった子も増える。
ここからがパートリーダーの腕の見せ所である。
ただ、耳にタコができるほど生徒たちは
「楽器を練習するために来るのではなく、
みんなで吹奏楽を作り上げるために集まるのだ。」
と言われ続けているため、気持ちを切り替えるのに必死で、
トラブルになることはまずない。
中には希望パートに入れなかったので
部をやめたいといってくる子もいるが、そういう場合は中山は引き止めない。
そのような心構えで続けられるような部ではないからだ。
その日泣きながらパート部屋に連れて行かれた子達も先輩たちの
「私もそうだった」に少し救われるのだ。
そして次の日にはケロリとして部に顔を出すのだった。

このように新体制が始まった。
二・三年生で五十八人、新入生は三十五名が入部した。
総勢九十三名の大所帯である。

もちろん中山一人でこれだけの集団の面倒を見切れるものではない。
彼を手伝ってくれる仲間たちがいるのだ。

池田公一 二十二歳
K音大の三年で、トランペット専攻。中山がこの中学に赴任したときの一年生で、
彼が三年になったとき、中山は初めてバンドをコンクールに参加させた。
いきなり地区予選を勝ち抜き、県大会に出場、金賞を受賞し、周囲を驚かせたものだった。
卒業のとき池田は「僕も音楽教師を目指します。そして吹奏楽を教えたい。」と
涙を流しながら言ったものだ。その後やはり吹奏楽の盛んな高校に進学し、
関東大会を経験した後、音大に進んだのだった。
自身忙しい中、時間を見つけては指導に来てくれている。
来年の採用試験に向けての準備も着々と進めているそうだ。

緒方奈緒子 二十一歳
池田公一の高校時代の後輩。やはり音楽教師を目指し、
S音大に通う傍ら、池田とともに手伝いに来てくれる。
専門はフルートだ。

三上五郎 三十一歳
音大時代の中山の同級生専門はパーカッションで、プロで活動している。
忙しい中やはり時間をやりくりして、月に最低二回は指導に来てくれる。

原口明彦 二十八歳
中山の音大の後輩。ホルン専攻。気が優しく、丁寧な指導に定評がある。
いろいろな中学、高校へ講師として出張している。
中山の後輩ということで、ここには格安のギャラで来ている。
実はロハでいい、と中山に言ったのだが、それで食べてるんだから
安くてもギャラは受け取れ、と中山に言われているのだ。

この他にも休日の練習ともなると多数のOBが出入りし、
大変活気のある状態となる。もちろん、OBの指導も必要だ。
何年かかけてOBとして来校する場合の心得を卒業生には教え込んできた。
今では先輩風を吹かせるだけのOBは絶対に来ない。
来てもとてもじゃないがいられる雰囲気ではないのだ。
池田を中心としたOBの中心的人物が常に目を光らせている。
中山はこの状況にある程度満足していた。

今日は四月二十八日、日曜日。一日の練習を終え、
主要メンバーが会議を開いていた。OB連中はこれを「重役会議」と呼んでいる。
まだ若いOBにとっては憧れの場所らしい。 
各パートの状態、メンバーの様子などが報告され、
今後の指導へとつながっていく大切な会議だった。
今回は五月五日に行われる吹奏楽祭の件と、コンクールの自由曲について話し合われていた。

「月初めに配ったイベール、みんな読めてるかな。」
中山が投げかける。池田がまず答えた。
「ラッパ(トランペット)は結構読めてますね。
二年の金太郎がちょっと遅れてるかな。
ボントロ(トロンボーン)もまあまあってとこですかね。」
「原口、ホルンはどうだ?」
「誰が教えてると思ってるんです?」
中山がニヤリとした。
「そうだったな。バリテューバ(ユーフォニウム、テューバ)はどうかね。」
市民バンドでテューバを拭いている山下が、大きな体に似合わぬ高い声で答える。
「譜読みは問題ないっスねー。それより音作りっス。
まだテューバがちょっと不安定かなー。美しくないんスよ。音はでかいけど。
ユーフォはいいんだけど、明仁のあの変なビブラートは矯正っスね。」
「タイコ(パーカッション)はどうだ?」
「二年が良いねえ。じきに三年を追い越すな。三年が悪いって訳じゃないんだ。
二年が良すぎるんだ。素直だしな。田島文明、特にこいつ。
譜読みも大丈夫、センスも良い。
原曲をとにかく聞き込ませてイメージを作らせるこった。」
プロの厳しい目でいつもから口の批評をする三上だが、今日は機嫌が良い。
「木管はどうなのよ、中チン。」
この世で三上だけが中山を「中チン」と呼ぶ。
何度も直させようとしたがまったく直る気配がないので、
中山ももうあきらめている。
「そうだな。二枚リード(オーボエ・ファゴット)はOK。
クラ(クラリネット)も相変わらずいい音してる。けど譜読みは一部遅れてるかな。
ま、佐藤に任しておけば大丈夫だ。来週は横田さん(講師)が来てくれるしな。
サックスはほぼいいんだが、二年のテナーの萩原がちょっとおかしい。
沈んでるな。何かあったかもしれないんで、担任の話を聞いて様子を見るよ。
場合によっちゃ家庭訪問だ。フルートはオガちゃんから。」
「はい。美沙ちゃんも純子ちゃんも譜読みはほぼできています。
二年生はかなめちゃんがちょっと遅れてるけど、多分大丈夫。
音自体はもう無敵でしょ。アンコン(アンサンブルコンテスト)にも出したいなあ。」
そういい終えると、池田をチラッと見て微笑んだ。中山が笑みを浮かべる。
この二人はここへ来てまたいっそう仲が良くなったな。

「後は弦バス(ストリングベース)か。原口、例の知り合い、いつ来てくれるって?」
「来週の土日、両方ともOKですって。ギャラは相場の半額でいいって。」
「あんまり気ぃ遣うなよ。金が無い訳じゃないんだから。
ま、安いに越したことは無いけどな。そう、今の様子なら、
自由曲はイベールで決まりだな。
課題曲はマーチがいいと思うんだが、何か意見は?」
ああでもないこうでもないと様々な意見が飛び交う。中山はこの時間が好きだった。
大体結論じみたものがまとまったところで、会議は終了した。
「じゃあ解散。みんな、お疲れ!ああ、三上!」
「なんじゃい。」
「飯食ってかねーか?」
「いいね。どこで?」
「ガスト」
「やっぱりね。じゃ、行きましょか。」
池田と緒方がついて来るとのことだった。
中山の車に乗せ、三上の車の後をついていく。
(三上の車は楽器だらけで助手席に一人座るのがやっとなのだ。)
ガストに到着。三上と中山がタバコを吸うので、喫煙席を選ぶ。
頼むものは決まっている。
いつもの和風ハンバーグだ。三上はビールも頼んでいる。
「またお前、いいのかよ、車。」
「バーカ。一杯なら水と変わらねーよ。」
いつもこんな調子だが、いつか何か起こすのじゃないかと中山は心配していた。

楽しい夕食時間が過ぎていく。コーヒーのおかわりはもう三回目だ。
「そういえば先生。」
思いついたように緒方が言った。
「ん?なんだ?」
「今日、ちょっと気になったんですけど。」
「何が?」
「瞳ちゃん・・・・・・」
中山はドキリとした。なぜ俺がドキリとしなければならないんだ?
「瞳がどうかしたか?」
「演奏会過ぎてからずっと感じてたんですけど、あの子、
先生を見るときの目つきが変わってきてます。先生、気づいてます?」
「やっぱり・・・・・・そうなのか。いや、なんとなくだけどな。
おかしいとは思ってた。ただ、このところずっと普通だったから
特に気にしないようにしてたんだが。ホラ、変に意識するとかえって
何か刺激しちゃうかと思ってさ。」
「それで良いと思います。あの子、先生に恋してますよ。気をつけてくださいね。」
女の直感、というやつだろうか。
「何を気をつけるんだ?」
「ああいうまじめそうに見える子は思いつめると思いがけないことをするから。
ま、先生なら大丈夫だとは思うけど。」
「どういう意味だよ、それ。」
一同大笑いとなり、中山も一緒になって笑ってはいたが、
心の中は穏やかではなかった。

うん。放っては置けない。

続きはこちら