The Stories of Mine

メシアな彼女

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【五】家族

昨夜確認したら、マスターによる情報操作は既に完了しているとの事だった。
うん、カオルと新宿御苑で過ごしてから三日たっている。
情報操作により、オレがカオルの兄、と言う設定はこの世界において
受け入れられる事象となった。
生物学的に兄妹となった、と言うわけじゃなく、オレたち以外の人間には
そう思われておかしくない状況とでも言おうか。
わかりづらいけど、まあ、そういうことだ。

というわけで、カオルに連絡を取らねばならない。
先日プロフィール交換をしてあるので、電話番号はわかっている。
昼休み、電話をかけてみた。
「もしもし?え、なに、お兄ちゃん?」
いきなりお兄ちゃんと言われてちょっと面食らう。
「あ、ああ。カオルか?今大丈夫か?」
「うん。へへ、電話待ってたよ。」
「そうか。うん。例の件だけどな、準備ができたので、打ち合わせたくて。今日、会えるか?」
「バイトの後なら。早番だから、5時半にはあがれるよ。」
「わかった。じゃあ、5時40分に、ダイビルのエクセルシオールカフェ前でいいか?」
「うんわかった。じゃあね。必ず行くから。」
「うむ。じゃあな。」
よし。今日打ち合わせをして、実際にカオルの家に行くのは明後日だな。
さ、飯食って仕事に戻るか。
「松下さーん。」
甲高い声で背後から呼ばれた。ドキッとする。
「なんすかァ、今の電話。もしかすると、噂の彼女じゃあないんですか?」
振り返ると、同じ課の同僚、岩沼がニヤニヤしながら立っていた。
どこの職場にも一人はいる、仕事もろくにできないくせに
同僚の足を引っ張るようなことばかりしている輩なのだこいつは。
そのくせ口だけは上手いので上司の受けは悪くない。
ああもう、見ているだけでむかむかしてくる。

「なんですか?噂の彼女というのは。」
何のことか本当にわからなかったので、素でそう聞き返したオレだった。
「もう、しらばっくれちゃってェ。社内でいまや知らぬ者はいない噂ですよ。
松下さんにかわいい彼女ができたらしいってね。」
どういうことだ?なぜカオルのことが・・・・・・ていうかそれはカオルのことを指してるのか?
「いやだなあ。隠さなくてもいいですよ。先週の日曜日、秋葉原で
えらく若い女の子とデートしてたでしょう?
見ちゃったんだなあ、僕。」
ニュースソースはお前か!ここ数日、好奇の目で俺を見る奴が急に増えた気がしていたが、
そういうことだったか。
「ははあ、そういう事でしたか。でも残念ながら、あの子は皆さんが
想像しているような相手ではないのです。妹なのですよ。」
「またまたあ。松下さんに妹がいるなんて話、聞いたことありませんよ。
いいじゃありませんか、年の離れたカップルなんて、いまやフツーなんですから。」
めんどくせえな、こいつはいつも。
「いやいや、それこそ隠すような話じゃありませんが、
皆に宣伝して回るような話でもないのでね。簡単に言うと、
『妹が見つかった』って事なんですよ。正確には父親違いのね。
詳しい説明は長くなるので省きますが、まあ、そういうことです。
この度その子を引き取って面倒見ることになったので、
そのための打ち合わせで今日、会う約束をしていたのです。」
まじめに説明を続けるオレの態度で、それが本当なんだろうと思ったらしく、
明らかに残念そうな表情の岩沼だった。
じゃあそういうことで、と、早々にその場を辞して吉野家に急ぐ。
なんかムカムカが収まらなかったので、
大盛りを食べ終えた後、思わず並をおかわりしてしまったオレであった。
ストレスを食い気に転換するのは悪い癖だ。

オフィスに戻り、お茶を淹れて席に着く。さ、今日中に仕上げなければならない
新人教育用のマニュアル作りを再開するか、と思ったときに、上司に呼ばれた。
「松下君、ちょっといいかな?」
「はい、課長。なんでしょうか。」
「ここじゃ何だから、向こうで。」
課長が向こう、といえば、応接室を指す。殆ど来客などないオフィスなので、
いつも空いているのだ。なんだろう、最近は特に目立つようなミスもないし、
部下もきちんと仕事をこなしているはずだが。
そんなことを思いながら、課長に言われるままに応接室のソファに腰掛けた。
「いやね、松下君。最近君に関するあまり良くない話を耳にしてね。」
は?何のことだ?『本当の』仕事に差しさわりが出ないよう、
表の仕事では良くも悪くも極力目立たないようにしているオレに良くない話だと?
「どんな話ですか?」
不安げな様子をまったく見せず、ストレートに聞く。これが一番だ。
「うん、まあ、私はそんなことはないと思っているんだけど・・・・・・」
だからどんな話なんだよ!という怒りモードを視線にこめて課長に投げる。
「君が、ね、なんだか未成年といかがわしい交際をしているとか何とか・・・・・・」
「岩沼ですか?秋葉原で私のデートを見たとか見ないとか?」
「い、いや、こういうことはさ、ほら、ニュースソースは伏せておかないとね、
ちゃんとした情報が管理職に流れなくなって
しまうからね、えーと・・・・・・」
やはり岩沼だ。うっとうしい。あまりにうっとうしすぎる。
いままでは極力関わらないことで害を防いできたが、
向こうからこんな風に絡んでこられては・・・・・・
ああ!うぜえ!
とりあえず課長には『本当の』所をきちんと説明しておくしかないだろう。
「秋葉原で若い女性と一緒に行動していたのは事実です。ただしあれは私の妹です。」
「え?君に妹なんていたかね?」
「正式にきちんとしてからご報告にはあがるつもりでしたが・・・説明します。
私の両親はすでに亡くなっていますが、母親が実の母親ではありませんでした。
実の母親は私が17歳のときに、父の元を去っています。まあ、他に男ができて、
って事らしいんですけどね。その時すでに妹を身ごもっていたらしいんですが、
ひどいことに生んだ後、すぐに妹を捨てたらしいのです。
で、その後18年たって、その母親が娘に一目会いたいと思い立ち、
当時のいきさつを手紙にまとめ、父に送ったのです。
自分が捨てた男が既に亡くなっているとも知らずにね。当時の家は父の弟が引き継ぎ、
今も暮らしていますので、父宛の手紙は
ちゃんと届きました。ただ、父はもう既に亡くなっているため、
扱いに困った叔父が息子の私に手紙を届けた、と言うわけです。
読んでみて驚きました。自分に父親違いの妹がいて、
しかも実の母に捨てられて養父母の下で暮らしているという。
そこで、とにかく会ってみようと思い立ち、養親に連絡を取り、
妹と会ったのです。色々話を聞くと、必ずしも幸せに育ってきたわけではないらしい。
そこで、私が引き取って、ひとり立ちするまできちんと面倒を見てあげる事に
しようと思っているのです。以上ですが、何か?」
それにしても母親が生きていたらおそらくグーで殴られるような設定だな、こりゃ。
と、課長を見るとハンカチを取り出して目頭を押さえている。
「うんうん、よーくわかった。今時珍しいいい話じゃないか。
妹さんを幸せにしてあげなさいよ。
うん、君に限っていかがわしいことなどないとはじめから僕にはわかっていたよ。」
そう言えば割と単純な人だったな、この人は。
うその『本当の』話なのでちょっと気が引けたが、
とりあえず岩沼の攻撃に対する防御は完成したと思われたので、
「ご理解いただけて安心しました。それでは仕事に戻ります。」
「うんうん、これからも君には期待をしているからね。」
ああ、疲れた。

応接室を出ると、期待に胸を膨らませたような岩沼と目が会ったので、
思いっきり目力を込めて睨んでやった。
あわてて目をそらす岩沼に、課長から声がかかった。岩沼もこれで
少しは懲りてくれるといいのだが。
無駄な時間をとられたので、そこから定時まで、一心不乱にマニュアル作成にいそしんだ。
定時になる。パソコンの電源を落とし、「お先に」と挨拶すると、オフィスのお局様から、
「あら、今日は定時退社?若い子とデートでもあるのかしら?」
と声がかかる。もうその話題は古いですよ、と思いながらも、一応相手をしてやった。
「ご明察です。相手は18歳のアキバギャルです。」
お局様がきょとんとする。
「なんてね、変な噂が流れてたみたいですけど、事情があって
今まで離れ離れになっていた年の離れた妹なんですよ。
詳しくは課長に話しときましたから、興味があればお聞きくださいな。
それじゃ急ぎますんで、失礼します。」
岩沼がこそこそとオフィスを出ようとしていた。みんなの目が一斉に注がれる。
「岩沼君、ちょっと話があるんだけど。」
お局様につかまった。ざまーみろ、後は知らない。
まあ、それでもあいつはこれからもあのまんまなんだろうな。

錦糸町まで急いで歩いて五分。総武線各駅停車のホームに立つと、
すぐに中野行きが滑り込んできた。そのまま乗って秋葉原へ。
七分間電車に揺られる。秋葉原のホームに降りて時計を見ると17時20分だった。
電気街口から出てダイビルへ。平日の夕方だが、結構人は出ている。
サラリーマンが多いかな。
そういえば最近、いわゆるアキバ系ファッションの男子があまりいないな。
どうでもいいけど。
ダイビルの一階のエクセルシオールカフェに到着。まだ17時半だ。
約束の時間まで少しあるし、あいつが仕事で遅くなるかもしれないから、
中に入って待つことにした。アーモンドキャラメルラテを注文して、
出来上がりを手に取り席を探す。席はすぐに見つかった。
座るとすぐにカオルにメールした。『中で待ってるぞ(^^)/~』
顔文字なぞ使う自分にちょっと照れたりした。
恐ろしく早くメールの返事が帰ってきたかと思うと、読み終わる前にカオルの声がした。
「おまたせ!飲み物買ってくるから、ちょっち待ってて!」
オレの対面に荷物をポンと置くとカウンターのほうへ駆けていくカオルだった。
そんなあわてなくてもいいのに。すぐに飲み物を持って戻ってきた。
「何にした?」
「アーモンドキャラメルラテ!」
おんなじだった。
「何々、お兄ちゃんと同じ?やっぱ兄妹だねえ〜。」
まんざらではない表情をしている自分に気づき、
実の兄弟ではないことを想起し、改めて恥ずかしくなった。
妹光線にふやけている自分を叱咤し、気持ちを引き締めて務めて事務的に
用件に入った。
「お前を引き取る件だが、準備が整った。お前の実の(?)母親からの手紙とか、
オレの戸籍関係とか、書類は揃えたので、あとはお前んちに行って、
養親に話をつけるだけだ。明後日の土曜日に行こうと思ってるが、
大丈夫か?お前さえよければ今晩にも連絡をつけておこうと思うが。」
カオルがうれしそうにうなづく。
「うん。お願い。うちの人たちにはもうそれとなく話はしたんだ。
反応は薄かったけどね。ほんとにわからない。
あの人たちにとってあたしってなんなんだろ。
いや、疎外されてるとかいじめられてるとかは全くないのね。
でもさ、本当に昔からずっと、反応が薄いのよ。
よく普通に育ったもんだと思うわ、あたし。」
いや、普通じゃないと思う。だってねえ、このところ起きた
あんなことやこんなことを考えるとねえ。
でもそうは言わずにおいた。
「よし、じゃあ急いで帰ってなんか聞かれたらちゃんと答えてやれるようにしとけよ。
家に着いたらメールをくれ。そしたらすぐに電話入れるから。」
「やだ。」
は?何言ってんのお前。
「早番の時は友達といつもご飯食べて帰ってるんだもん。
今日だってうちの人そのつもりだから、家に帰ってもご飯がないんだもん。
だからお兄ちゃん、なんか食べて帰ろ。」
そういう事ならしょうがないか。
「わかった。何食いたい?」
「UDXの鳥つねの親子丼!」
「OK。じゃ行くか。」

UDXの三階に上がり、鳥つねに入った。親子丼もいいのだが、焼き鳥も捨てがたい。
オレは焼き鳥と他にちょっとした料理を頼み、酒を注文した。もちろんカオルは親子丼だ。
うれしそうに親子丼をほおばるカオルを見て、オレもうれしくなった。
途中でオレの焼き鳥に目をつけ、物欲しげな視線を送って来やがる。
しょうがないから分けてやると、これまたおいしそうに食べるのだった。
ちょいまて、一串全部食うか普通!しょうがねえなあ、とか言いながら
速攻で焼き鳥を追加するオレだった。
食事を終えると、家に着いたらメールを忘れずにするように再度伝え、
カオルと別れた。

下北沢の家に着いたのは20時15分頃だった。
携帯を見ると、すでにメールが届いていた。すぐにカオルの家に電話を入れる。
母親と思しき声が聞こえた。
「もしもし、槙原ですが。」
「こんばんわ。私、松下と申します。今、お時間はよろしいでしょうか。」
「松下さん、ですか?ああ、カオルが言っていた方ですね。大丈夫です。ご用件をどうぞ。」
「恐れ入ります。簡単に申し上げますと、カオルさんの今後のことについて
ご相談がございまして。差し支えなければ今度の土曜日にでも槙原様のお宅に
お邪魔したいと存じますが。」
「土曜日ですね、特に問題はありません。何時頃いらっしゃいますか?」
「特にご都合の悪い時間帯などはございますか?」
「ありません。」
「でしたら、午前中にでも。そうですね、10時ではいかがでしょうか。」
「結構です。主人と二人でお待ちしております。」
「ありがとうございます。では土曜日にお邪魔いたします。失礼いたします。」

電話を終えて、カオルの言葉を思い出した。
「うちの人たち、反応が薄くて。」
まさにその通りだった。「反応が薄い」という表現がぴったりだ。
まがりなりにも今まで18年間育ててきた娘の将来について話したい、
という赤の他人からの申し出をこれほどさらっと受け止めてしまえるとは。
この家人の反応はいったい何なんだろうか。何か訳があるに違いない、
と思ったが、とりあえずカオルに害をなすものではなさそうではあるし、
詮索は後回しにすることにした。でも、もしかしたら、この家族の存在そのものが・・・
いやいや、後回し後回し。先日購入した「らき☆すた」のDVD第5巻
(アニメ店長が書かれている限定版だっ)を見ていると、メールが届いた。
カオルからだ。
「こん!今日はごちそう様!親子丼、おいしかたっ。
(^^)おごらせちゃってごめんねm(_ _)m
うちの人たちったらさあ、お兄ちゃんの電話の後も、
何の反応もなしなんだよ!もうっ。
じゃあ、土曜日よろしくね!あたしはバイト早番だからいないけど、
終わったらメールしてね。ばいばい (^o^)/~」
どうでもいいけど、18にもなってもうちょっと頭のよさそうな文章書けないかなあ。
でもまあ、今時の娘のメールの文なんてこんなもんなんだろうな。

  とりあえず「らき☆すた」を見てしまうことにしよう。
明後日はうまくやんなきゃな。

土曜日。オレは休日だからといって寝坊したりはしない。
いつも通りに6時に起きると、ストレッチをして風呂に入り、
しっかり朝食を取った。
新聞を広げ、気になる記事はないか探す。
「夢を失う若者たち」という記事が目に付いた。
昨今、この国も夢のない状況へと徐々に流れていっている感じだからなあ。
年金問題ひとつ取ったって、若者たちが年老いたときにどうなってしまっているのかを
冷静に考えたら、夢を失ったっておかしくないよな。それか、アキバみたいなところにきて
一時の夢を見まくるか。二次元へようこそ、だ。

まてよ、この事と夢喰いの大攻勢との間に何か関係があるんじゃないか?
じっくり考えたいところではあったが、時間が迫っていたので、
その新聞記事に赤丸をつけておくにとどめた。
(新聞のスクラップなんてアナログなこともオレはやっているのだ。)

カオルの家は千代田線の根津にある。駅から10分くらいのところだというから、
10時に着くには下北を9時17分発の多摩急行に乗ればいい。
九時過ぎに出ればゆっくり間に合う。しばらく新聞を眺めて、
時計を見る。九時丁度だ。
新聞をたたんで、上着を羽織ると、携帯をポケットに入れて家を出た。

駅までゆっくり歩いて10分。ホームに立ち、携帯で時間を確認する。
9時12分だった。15分の各駅停車を見過ごし、
17分の多摩急行に予定通り乗った。割と空いていたが、あえて立つ。
必要はないが、メタボを気にしているおじさんを演じる。
細かい演出が好きなのだ。というか、そういう細かいことをいろいろやっていないと、
自分が人間でないことを殊更意識させられてしまうので、そういうことで
人間らしさを維持している、と言った方がいいかもしれない。
根津に着いたのが9時45分。あらかじめグーグルマップでカオルの家は
調べてあったので、散歩を楽しみつつ、向かった。

到着する。
思ったよりも雰囲気のある和風テイストの家だった。
時計を見ると、携帯で時間を見ると、9時58分だった。予定通りだ。
インターホンの押しボタンを押す。
ピンポーンと音がすると、すぐに、「はーい、今開けまーす。」という声が聞こえ、
パタパタパタと足音がし、ドアが開けられた。おそらく母親だろう。
「どうぞ。」と笑顔で招き入れられた。先日の電話のときよりも人間らしさを感じる。
「こちらです。」
通された部屋は、南に面した和室で、よく手入れされた庭が縁側の向こうに見えていた。
勧められた座布団の上に座って待つ。
「どうも、はじめまして、槙原です。」
父親が母親に連れられて部屋に入ってきた。立ち上がって挨拶しようとしたが、
制されてそのまま座りなおす。
「で、お話というのは?」
オレは話を始めた。
「はい。実は先日、昔父と離婚した私の母から父に手紙が届けられまして、
そこにカオルさんのことが書かれていたのです。
簡単に申し上げますと、カオルさんが、私の実の妹である、という事実です。」
家人の反応を見る。薄い。反応がほとんどない。どういうことだろう。
「ま、そのようなこともあるでしょう。カオルから聞いて知っていらっしゃるかとは
思いますが、あれは私どもの実の娘ではないのです。」
「はい、そのように伺っております。」
「ある日のこと、家の前に揺りかごに入れられて捨てられておったのを
私どもが引き取り、育ててまいりました。ただ、その、なんと言うか・・・・・」
話している父親が、初めて動揺した様子を示す。
「あなた・・・・・・」
妻に励まされ、父親が言葉をつないだ。
「これともずっと話しておるのですが・・・・・・」
いったん言葉を止め、何かを考えている様子だったが、意を決したように顔を上げ、
「あれにはどうしても愛情を感じることができなかったのです。
いえ、愛情というか、何の感情も、と言った方がいいかもしれません。
だからといって憎い訳でもうっとうしいわけでもない。
育てなければならないから育てている、そんな感じだったのです。」
ここまで聞いてやっと俺には何かが見えてきた。
やはりカオルは普通の存在ではない。
誰かその辺の娘が若気の至りで妊娠してしまって、
産んだはいいけどどうしていいかわからず捨てた、
とか言うわけじゃないのだ、と直感した。
誰か、あるいは何かがそこに置いたのだ。そしてこの養親に「育てさせた」のだ。
この夫婦が自分たちの意思で引き取ったのではないのだと今わかった。
何者かに操られるように育ててきたため、自分たちの感情がそこには入らなかったのだ。
そうわかっても、カオルに関する疑問は解消するどころか、深まるばかりだったが。

  話を進めた。
「まあ、ご事情はいろいろおありでしょう。それに、今まで18年間も
育ててきたわけですから、これから私の申し出る内容は受け容れ難いもの
かも知れません。それでも僕はお願いしたい。
カオルを僕に引き取らせていただけませんか。私にも事情があり、
今は天涯孤独の身です。一人ぼっちだと思っていた私に、妹がいたのです。
この先、支えあって暮らしたい、と思うのはいけないことでしょうか。」
われながらなかなか感情のこもったいい芝居だと思った。
両親が目を合わせる。父親がオレに向き直って言った。
「わかりました。カオルを引き取っていただくことにしましょう。
私たちにもそれがカオルのためだ、と言う気がしてならんのです。
また、これは言ってはならんことなのかもしれませんが・・・・・・」
「なんでしょうか。」
「これで肩の荷が下りる、と言う感覚も否定できんのです。
彼女の存在が、なんと言うか、私たちにとっては何か別世界のもののような、
何か触れてはならないもののような、うまく言えんのですが・・・・・・」
そりゃそうだ。こんなこと、カオルには伝えられない。
まあ、感動的に引き取ることになった、なんてうそをつく必要はないが、
こんなことまで伝える必要もないだろう。
カオルには養親にきちんと話したらわかってもらえた、と言っておこう。
念のため、用意した書類を養親に示し、カオルをオレに引き取らせる、
と言う内容の書類に捺印させた。
「それでは本日はこれで失礼いたします。カオルの引越しにつきましては
また追って連絡いたしますので、
それまではよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ご連絡をお待ちしております。」
オレは槙原家を後にした。

今日はこのあと、特に予定は立てていなかった。谷中でも散歩して、
久しぶりに薬膳カレーでも食べに行こう。
その後は・・・・・・急にカオルの顔が見たくなった。バイト先に行ったらあいつ、怒るかな。
うん、一応、メールしてみよう。許可が出たら行ってみるか。
またえらいスピードでメールが帰ってきた。丁度休み時間だったらしい。
「えー!!!お兄ちゃん来るのぉ?どうしよう!まあいいや。
あたしの仕事っぷりをしっかり見てもらいましょうか。
あ、でもあくまでもお兄ちゃんはお客さんだから、
あたし、妹にはなれないからね。お兄ちゃんの担当になれるかどうかも
わかんないし。それでもよければどうぞ!」
夢空間に実生活なんぞ持ち込まないさ。何年オタクをやってると思ってるんだ!
と、一人ニヤつくオレだった。
大名時計博物館から谷中小学校の脇を通り、たくさんあるお寺の間を通り抜ける。
気持ちのいい散歩道だ。ちょっと遠回りだが、三丁目のほうから朝倉彫塑館の前を通り、
薬膳カレーの店に着く。特製薬膳カレーセットをいただく。
お値段もいいが、味もいい。食後のコーヒーを飲み終えると、店を出た。
ここからだと日暮里まですぐだ。山手線に乗って秋葉原へ。
電気街口から出ると、二時前だった。
あいつのバイト先はたしかガチャポン会館のうえにあるピュアメイドカフェだったな。
元祖メイドカフェのこの店はと言えばだ、五周年の去年、
さらに中世イギリスちっくな感じを進化させてリニューアルしたという話だ。
リニューアル後は行っていないので楽しみだ。

  「いらっしゃいませ。」
うむ、ただいま。ん?今日は来客が多いようだな。
「左様でございますね。あ、ではこちらにどうぞ。お座りくださいませ。
お茶になさいますか?」
うむ。ロイヤルミルクティをもらおう。アッサムでな。
「かしこまりました。」
相変わらずの清楚な雰囲気と丁寧な接客、本格派、正統派と言うべき質の高い店だ。
リニューアルされた店内もシックで落ち着いていて、ああ、癒される。
おっと、楽しんでいるばかりではいかん。カオルの仕事っぷりを見に来たんだった。
新しい客が来た。はいはい出てまいりました。
奥から清楚なコスチュームに包まれたカオルが。
チラッと目が合うが、軽く微笑んで通り過ぎる。
うむ。それでこそプロの(?)メイドだ。よく訓練されている。
普段のあいつからは想像できない落ち着いた仕事ぶりだ。
話し方、姿勢、歩き方、仕草の一つ一つの完成度が高い。
この店には最近のメイドカフェによくあるような「萌え萌えジャンケン」やら
「チェキ撮影」やらという余計なオプションはない。
しかしながら、楚々たる風情で働くメイドたちを見ているだけで癒されるのだ。
やはり六年間続く元祖メイドカフェ、すばらしい時間を提供してくれる。
一時間ほど癒されたオレは、担当メイドにこの店のすばらしさを再認識したことを伝え、
店を辞した。
最初にアイコンタクトをしてきて以降、カオルは見事にオレを意識せずに接客していた。
へへ、やるじゃないか。後でほめてやろう。
せっかくアキバに来たんだからと、アニメイトに足を運ぶ。
ARIAの「ソリッドワークスコレクションDX」のコンプリートを目指すためだ。
今までにすでに9体購入しているが、アリスちゃんがどうしても来てくれないのだ。
かわりに藍華ちゃんが三人、灯里ちゃんが二人、アテナさんが二人いる。
思い切って五体購入。頼むから一人くらいはアリスちゃん、いてくれますように。
家に帰ってからあけることにする。
4階でシャナのコキュートスTシャツを購入する。
書籍コーナーではガンスリンガーガールの新刊を入手した。
このところ出費がかさんでいたから、今日はこの辺にしておくことにした。
店を出るとすぐに、メールが来た。カオルからだ。以下メールのやり取り。
「今どこ?何してる?」
「まだアキバ。そろそろ帰ろうかと思ってる。」
「えー、帰っちゃうの?あと一時間位いてよ。」
「なんで?」
「ご飯食べよ。」
「了解っ (‘◇’)ゞじゃエクセルシオールカフェにいる。」
「わかった(V)o\o(V)ふぉふぉふぉ」
バルタンの意味がわからん。つーか、電話なら一瞬で終わる会話だったのに・・・
ま、いっか。アキバで一時間ならあっという間だ。

一時間後、オレは例によってダイビルの一階のエクセルシオールカフェにいた。
カオルが到着。すぐにエクセルシオールカフェを出た。
「何食う?」
「今日はイタリアンな気分だねっ。」
「そうか。ええと・・・・・・うん、いい店がある。ちょっと歩くけど、いいか?」
「いいよ。たっぷりおなかすかせておいしく食べるんだから。」
中央通を万世橋方面に。万世橋をわたって少しして斜め右に入り、
神田淡路町を目指す。
しゃべりながらもさくさく歩いたので、10分ちょっとで到着した。
イタリアンレストランの「ベーネベーネ」だ。
ピッツァ「ビスマルク」にサラダにパスタ、鮮魚のカルパッチョ。
そして野菜のオイルフォンデュ「バーニャ・カウダ」
(これはカオルもいたく気に入っていた。)よく食べるな、この娘は。
「で、引越しはいつにする?」
アスパラガスを、にんにくとアンチョビとオリーブオイルのソースが
ふつふつと煮えている中につけながらカオルが答える。
「いつでもいいよ。荷物なんてそんなにないし。」
「じゃあ来週の水曜日はどうだ。オレその日休みだし。レンタカーで迎えに行こうか。」
「うん。あたしも丁度休みの日だ。」
左手だけで起用に携帯を操り、カレンダーで予定を確認しつつカオルが言った。
「じゃあ決まりだ。おいおい、少しはオレにもその野菜、食わせろよ。」
次から次へと野菜をオイルに浸してはぱくつくカオルの手を止めさせる。
「だってえ、おいしいんだもんこれ。」
ま、わかるがな。
ああでもないこうでもないといろいろくだらない話をしながら食事を終え、
店を出ると新御茶ノ水まで一緒に歩いた。
カオルは根津へ、オレは代々木上原方面へ。丁度両方の電車が来たので、
そこでさよならした。
立て続けに二体の夢喰いを狩った後、しばらく静かな、しかもカオルと一緒の
楽しい日々が続いていたので、
俺は「こんな日々が続くといいんだけどな」なんてちょっと間抜けな夢を
見かけていたのだった。

「荷物はそれだけなのか。」
レンタカーで迎えに行ったオレだったが、カオルの荷物は旅行鞄一つと
ダンボール一つだけだった。
いらないものを全部捨てたらこうなったのだと言う。まあ、ダンボール一つだって
歩いて運ぶとなれば大変だから車は無駄にはならない。
養親も、相変わらず何の感動もなさげな顔で見送りに出てきていた。
「ほら、最後なんだから、ちゃんと挨拶位しろよ。」
とオレがうながすと、カオルは一応きちんと挨拶をした。
「お父さん、お母さん、今まで本当にお世話になりました。ありがとう。
そして、さようなら。」
養親も一応ちゃんとした言葉を返す。
「うん。しっかりやるんだよ。お兄さんに迷惑をかけないようにね。
体に気をつけてね。」
でも、涙の一粒もない、ドライな別れだった。カオルが車に乗り込む。
窓越しにオレが養親に一礼する。
養親も頭をたれる。車を出す。ルームミラーに写る養親は、
車がスタートすると見送るでもなくすぐに家に戻っていった。
推測するに、おそらく明日にはもう、彼らの記憶からカオルは消えていることだろう。
無駄に部屋数の多いオレのアパートだったが、やっとそれが役に立つ日が来た。
ほぼ納戸と化していた三つ目の部屋を頑張ってきれいにしておいたのだ。
「今日からここがお前の部屋だ。必要なものがあればまた言ってくれ。
できるだけご要望にはお応えしよう。」
「うん、わかった。でも多分大丈夫。お兄ちゃんがいてくれれば、
他にはなにもいらないさっ。」
オレの顔が微妙に赤くなったのをカオルは見逃さない。
「へっへっへー。何赤くなってんの?妹に惚れるなよー。」
わかっててやってるな、こいつ。まあいいや、主導権はこいつに握らせておこう。
とにもかくにも、こいつとの生活が今日から始まる。
「今日からよろしくね。お兄ちゃん。」
改まって笑顔で挨拶するカオルに、オレも笑顔で答えた。
「ああ、こちらこそよろしく。」

そしてまた、戦いが始まる。

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