Many Ways of Our Lives

ラジカセ

太郎はキレた。いつもは温厚な太郎だが、今回は自分でも驚くほど怒り心頭だった。
「おいおい、なに言ってんだよあんた。仕事でやってんだろ、配達を。つりも用意してないのかよ。」 配達員は驚いた様子だった。さっきまでとは形相の違う太郎にたじろいだのだろう。でも口から出てくる言葉は決して太郎の気持ちに沿うものではなかった。
「で、でもねえ、ないものはないんですよ。こっちは仕事で次の配達もあるんだから、そのくらいお客さんのほうで用意してくださいよ。」
「プチッ」という音がどこかで聞こえた気がした。1キロ四方にも届くかと思われるような声で太郎は叫んでいた。
「ふざけんなよこの野郎!」
後から聞いたのだが、1階上の人は事件に巻き込まれてはいけないと息を殺していたとのことだった。太郎が気がつくと配達員の胸倉をつかんでいて、もう一人の誰かが太郎を配達員から引き離そうとしていた。隣の中島さんのご主人だった。
「太郎君、落ち着いて、太郎君!」
われに返った太郎は配達員の胸倉をつかんでいた手を離し、一歩退いた。そこには真っ青になった配達員と、冷静な顔の中島さんがいた。
「何があったかはわからないけれど、暴力はだめだ。太郎君、いったい何がどうしたんだね。」
中島さんにそう聞かれ、事情を説明しようとしたが、声にならず、涙があふれてくるのだった。少したって落ち着いたところで、太郎は先ほどの事情を説明した。
「なるほど、そういうことか。」といって配達員のほうを見ると、
「君、本当にお釣りもないのかね。」
「あ、はい・・・」
「しょうがないなあ。じゃあ、太郎君、うちで両替できないか家内に聞いてみるからちょっと待ってて。おーい、恵子!1万円両替できるよな!千円分は小銭にして!そうそう、ちょっと持ってきてくれ。ああ、ありがとう。じゃあ君、これでちょうどだね。太郎君、じゃあ、残りの分を上げるからその1万円をもらおう。これでよし。配達の君も、おつりくらい用意しときなよ。仕事なんだからさ。さあ、行きなさい。」
配達員は「ありがとうございました。」と、消え入るような声で言うと逃げるようにその場から去っていった。
中島さんが何か話しかけてくれているのはわかったが、あふれてくる涙と胸につかえている何かのせいで太郎には何を言っているのかはわからなかった。ただ心の中で(ちくしょう、ちくしょう)と繰り返すだけだった。

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